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なかなか認めませんでした~はじめての障害認知 [高次脳_障害の認知・受容]

自分が初めて高次脳機能障害を認知した時のことについて書きます。

倒れたのが2008年8月、メモリーノートによるとその2ヶ月後に自分が「高次脳機能障害」であると認知したと記載してあります。
きっかけは義兄から妻へのFAX。
下記、埼玉県の高次脳機能障害のパンフレットが妻あてに送られ、それが電話の下の棚にしまってあるのをたまたま発見。
saitmaken.jpg
引用:埼玉県ホームページ
http://www.pref.saitama.lg.jp/site/kouzinou/k-panfu.html

このFAX は何だろう?と読んだところ、愕然。
全く自分と同じ症状のことが書いてあり、しかもそれが「埼玉県」が発行しているオフィシャルなものであることに、強烈なショックと同時に全身から力が抜けたのを覚えてます。
そしてこのファックスを妻に突きつけ、「俺は障害者なのか?障害者になったのか?」と詰め寄り、机の上のものをひっくり返して大暴れ。
妻は「何度も何度も、病院からも私からも説明をしている」と説明。

この2ヶ月間、当然病院や家族からは高次脳機能障害の説明は何度も何度も受けていたし、そもそも高次脳機能障害の診断自体、急性期の病院で確定診断を受けていました。
院外心肺停止で救急搬送され数日間意識不明であれば、当然、低酸素脳症による脳障害を疑います。

確かに何度も説明を受けていたんだけど、正直、全く認識がなかったですね。
多分この時初めて、自分で障害を認知したんだと感じます。
かなりショックでした。

またパンフレット自体「埼玉県」という「オフィシャルかつ信頼のある発行物」であったことも、強い認識を促してくれました。
現状まだ未整備の部分もあるかもしれませんが、地方行政がこの障害に対して対応を取りはじめていることに、ただごとではない障害を受けたんだと感じました。
義兄が送ってきてしまってあるのを自分で見つけてしまった所にもインパクトがあったと感じてます。
これを妻から手渡されていたとしても、あまり理解しなかったんじゃないかなと感じてます。

タイミング的に認知機能が回復してきたことと、情報の入り方が客観的であったことも重なり障害認知することとなったと感じてます。

こんな感じで、僕のはじめての障害認知は幕を開けました。

ただしこの時点では、高次脳機能障害であると認知しただけであり、その後の社会生活に影響を与えるものとは全く捉えていませんでした。
なんでリハビリを受けているのかさえも良く分かっていなかった状況です。

ただ単に「自分=高次脳機能障害者」という式が頭の中で出来ただけです。。。
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