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帰省をしてきました~受傷から6年が経ちました~ [高次脳_ふと感じたこと]

先週、お盆休みを使って実家に帰省をしてきました。

毎年、正月と盆は顔を出すようにしてるのですが、この時期の帰省は心がざわつきます。


 

なぜなら、僕は6年前のお盆帰省時に、実家で倒れたから。。。

 

でも不思議と6年という歳月がそのざわつきも軽減してくれて、疲れはしたものの楽しませてもらいました。

 


釣りをしたり(40cmのボラ釣りました)。

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ぶどう狩りに行ったり。

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花火をしたり。

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そして今日819日は、4日間の意識不明から蘇った、僕の2度目の誕生日だったりします。

 

眼が開いたかと思うと、すぐに眠りについて。

また眼が開いたかと思うと、また眠りについて。

家族の話によると、ドラマのようにハッと目覚めたわけではなく、徐々に目覚めたとのこと。

 

そして片言で話し始める。

 

「ここはだれ、私はどこ?」

 

そんなことを言ったかは定かではないですが、状況的にはそんな感じだったらしい。

その後、意識回復時の錯乱を起こしてしまい、鼻とか点滴とか尿管とか色々な管を自分で抜いて、ICUから脱走。

それを見た主治医が一言。

 

「とりあえず身体(運動器)には障害が残らなさそうだね」と。。。

 

 

 

あれから丸6年。

帰省の際に、久しぶりに救急搬送された病院を訪れました。

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リハ室。

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毎日、車椅子で行ってたんだよ。

泣けるなー。


 

不思議とここは、生まれ故郷みたいな感じがしてなりません。

退院する時は「2度とお世話になるもんか(笑)」なんて豪語していたのですが。

リハの先生にも会って、元気な姿を見せてきました。

当時、妻のお腹の中にいた5歳の娘も一緒に。

 


6年前、すべてはこのリハ室から、自分を取り戻すことをしてきました。



「初心忘るべからず」


帰省とはそもそも、そういう意味合いなのかもしれませんね。

そんなことを改めて感じた、受傷後6年の帰郷ではない帰省となりました。



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障害者総合支援法ご存知ですか? [高次脳_ふと感じたこと]

タイトルからして難しそうですね。

ご存知の方もいるとは思いますが、「制度のことはわからんよ」と思ってるあなたもこの機会にぜひ。僕も先日、患者会の方に教えていただき改めて認識しました。


 

「障害者総合支援法」とは

それまでの「障害者自立支援法」から改正された、障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律で、平成24年に閣議決定され、翌25年から施行されました。

詳しいことは「厚生労働省ホームページ」で(汗)

http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/sougoushien/

こっちのほうがわかりやすいかな。
独立行政法人福祉医療機構 WAM NET

http://www.wam.go.jp/content/wamnet/pcpub/top/appContents/wamnet_shofuku_explain.html

いくつか変更ポイントがあるのですが、最大のポイントは、基本理念が新たに規定されたことです。どんな理念かというと、「共生社会の実現」が新たに基本理念として定められました。

この法律の基本理念を、障害者及び障害児が日常生活又は社会生活を営むための支援は、全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため、全ての障害者及び障害児が可能な限りその身近な場所において必要な日常生活又は社会生活を営むための支援を受けられることにより社会参加の機会が確保されること及びどこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され、地域社会において他の人々と共生することを妨げられないこと並びに障害者及び障害児にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものの除去に資することを旨として、総合的かつ計画的に行わなければならないこととするものとすること。(第一条の二関係)


 

その背景には、これまで障害とは「その人個人が授かった“医学モデル”」で考えられてきた歴史があるのですが、「そもそも障害を産むのは社会(環境)とのギャップである“社会モデル”」に、考えがシフトしてきたことがあげられるとのことです。


なるほど。

「障害者」という人間なんて、そもそもいないからね。
ハンディキャップを負って社会生活上支援が必要な方を、行政対応上「障害者」と定めているだけであって、ソモソモワレワレはタマタマカラダにハンディキャップを授かった、みなさんと同じ一人の「人間」です。

だから、そもそも差別も隔離もなく、お互い人格と個性を尊重し合いながら共生社会を目指しましょう、という話になったわけです。

至極当たり前の話に見えますが、現実的には、まだまだ臭いものには蓋をする文化が強く根付いている日本。


私もいろんな方と出会いましたが、対等に渡り合ってくれる方もいれば、排除を意図的にしようとする、もしくは臭いものだとタグ付けする心の狭い方もいらっしゃいます。。。

個人の感想ですが、これは「障害者支援に関する大転換」であり、そして社会一般の「“障害”に対する規制概念の変更」と感じます。


インフラ・福祉サービスの拡充や保障の拡充も良いことだと思いますが、それ以上に目指すべき方向性(基本理念・ビジョン)を時代に合わせて再規定するという動きが明確に見えます。


前者を対処療法とするならば、後者は課題解決思考。

この「障害者総合支援法」には、社会の根本課題を変えるというビジョンが汲み取れます。


これを、単なる行政の「お達し」と捉えるか、「歴史上の大転換」と捉えて社会認識の変更に繋げるか、当事者・支援者自身の視点や行動にかかっているかと。


「生きづらい・働きづらいな」と感じることをどんどん当事者側からも発信して、ぜひ後者の視点で、社会の視点を少しでも変えることに注力していきたいですね。

ワレワレとワレワレの次の世代のためにも。

本法律は、年度毎に3段階を経て推進されていく予定。

現在、第2段階に突入し、20164月には第3段階目の改定に入ります。


全員参加型の共生社会になるか、参加する全員の志にかかっていると思います。

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障壁のない社会を目指して ~杜のマルシェに参加してきました~ [高次脳_ふと感じたこと]

週末、東京都調布市にある「杜のハーモニー♪」さんのイベント「杜のマルシェ♪」にお伺いさせていただきました。

3月の低酸素脳症(蘇生後脳症)の講演会に参加したのがきっかけで、代表のI様よりお誘いいただいて初参加。ご令嬢さまのIさんは、私と同じく低酸素脳症の当事者です。

場所は調布市にある深大寺のそばのギャラリー。

この付近に行くのは初めてだったのですが、何とも緑が深く神秘的なところですね。

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正直に言いますが、私は勘違いしておりました。

てっきり、当事者の方々の作品販売会かと思ってましたがそうではありません。もちろん作業所で作られた作品もありましたが、地元の一般の方やプロアーティストの方の作品も、一緒に陳列してあります。

陶芸作品や、アクセサリー、絵画、写真、日用雑貨などなどなど。

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「障害のある方もない方もそれぞれがその人らしさを出し合い、それぞれが心地よいハーモニーを奏でること」を会のビジョンとしており、障害のある方もない方も共生する社会を目指し、あえて混在して地域の方々の作品展示を行っているそうです。

この調布の杜の中で。

大変素晴らしいビジョンですね。


そんな杜のマルシェの様子をちょっと紹介。



アクセサリー・WEBデザイナーで、Iさんの回復期にリハビリで支援されていたYさん。

写真を取り忘れてしまいましたが、素敵なアクセサリー作品を展示されてました。

そして何よりも、Iさんと気さくに、そして普通に接している姿がとても印象的でした。


そして、そのYさんの旦那さん。木版画家。

木版画家というご職業にも驚きですが、スマホで見せていただいた作品は、とても木版画とは思えない精巧さで、一同驚いてました。

サイトをご紹介させて頂きます。

http://www.agnahue.com/index.htm

ぜひ世界に、日本の木版画の素晴らしさを伝えてくださいね。


あと、散策してる時にふと訪れたという、会とは全く関係ないアメリカ人のテリーさん。

片言の英語で私も少しお話ししましたが、劇団に所属しているそうです。

http://www.t-in-p.com/1246212515125211252212540.html

人的に、progressという単語が好きです。前向きになりますね。


紹介しきれませんが、障害の有無に関係なく、いろんな方がふと訪ねて普通に声を掛け合い、普通に寄り添っている、何とも自然な時間を過ごすことができました。

当の私は、ちょっと緊張もあり最初はぼーっとしてたのですが(低酸素の人はスイッチ入るまでちょっと時間かかります)、そのうち皆さんが声をかけてくれてあっという間に終わりの時間に。

この小さな調布の杜のギャラリーで、バリア(障壁)のない世界というのを体感させていただいた、そんな今回の会でした。


こういう機会は、ぜひ広がってほしいですね。

もしかしたら私が知らないだけで、すでにあるのかもしれません。

今後、いろんな会にも参加してみようと思います。


会の終わり際、わざわざ駆けつけていただいた当事者のSさん。昨年の事故で40mほどトラックに引きずられて一命を取り留めたのですが、一度、職場復帰したものの現在では少しトレーニングが必要ということで、支援センターでトレーニングをされているとのことです。

会が終わった後に、4時間ほどファミレスでお話ししました。とても探究心がおありで、すでに色々と高次のことを勉強されています。そして資格取得も目指し、これからまだまだ頑張るそうです。

その自発性を僕にも分けてほしい、ぜひお願いします。


最後にそのSさんに駅まで送ってもらったのですが、なんと、私自身がSさんの車中に購入した商品を忘れてしまいました。。。僕は忘れたこと自体も覚えてなく、わざわざお電話を頂き発覚。しばらく預かっていただけるとのこと。

僕も、高次脳全開ですね。


でも、お互いがこうやって声を掛け合って補えばいいんですよ。

ちなみに、いまの政権が標榜している社会スタイルに、「共生社会」というコンセプトがあります。

「どんな社会?」とずっと思っていたのですが、今回の機会で「こういうのが共生社会っていうんだろうな」とふと感じました。


そんなことまで、最後の最後に身を持って気付かせてくれた、有意義な一日となりました。


余談ですが、次回は、みなさんと一緒にカラオケに行く予定。

CD借りて練習しておきますね。

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※当事者の詩集より。見ているだけで力が湧いてきます。



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梅雨の夏空 [高次脳_ふと感じたこと]

梅雨の時期に入りましたね。


脳にダメージを受けた方は、気圧の変動に弱い傾向にあると、とある医師から聞きました。

本当かどうかはわかりませんが、普通の人でもこの時期は憂鬱な気分になるから仕方ないか。

 

頑張って仕事には行ってますが、

なんだか憂鬱。

 

 

でも、先週末はそんな気分を忘れさせてくれるような天気でした。

 

 

土曜日、授業参観日。

グランドで、子供の体育の授業を見てきました。

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いい天気の中、走り高跳びを飛んでました。

 

 

 

 

日曜日は長男の野球。

地域のちょっとしたトーナメント戦の決勝戦でした。

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結果は逆転負け。。。





息子は泣いてました。

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自分の子供の悔し涙を見ること以上に、親の心を動かすものはないなと感じます。

敢闘賞を贈るよ。

 

 

 

 

 

 

さて、今週末は、半年ぶりくらいに会う当事者の方との情報交換会。

みんな苦戦しながらも、ぎりぎりのところでなんとか就労をつないでいます。

そんな就労上の悩みや課題を、少しでも解消できるよう、情報交換したり生存確認したり相互鼓舞したり。

私同様、身体障害がない高次脳機能障害の方で就業している方は、身体のある方とは異なる課題があります。

 

 

 

見えないという、人間の性。

 

 

 

先日、会社の先輩と飲んでいるときに言われました。

「(僕のは)見た目普通だから、相当きつそうだよね」

 

自身、就労していて感じます。 

中には理解をしてくれる心の広い方もいるのですが、残念ながらそうではない方もいるし、さらにハンディキャップを上げ足を取るように叱責する心の狭い方もいます。

 

自分がハンディキャップを負って一番感じるのは、人間にはいろんな方々がいて、この人信頼できる方かそうではない方か、結構直感でわかるようになったこと。

 

ハンディキャップを負うと、見えない才能が開眼するみたいです。

そりゃそうだよね。

なぜなら、あたりまえの機能が無くなると、悪戯なことを考える余裕すらなくなるから。

 

われら高次脳、駆け引きしたり塩梅をうまく調整するのが苦手な直球人間が多いです。

それゆえに、就労上のトラブルも多かったりするのですが。。。でも基本まっすぐ。

 

 

人間、窮地に追い込まれたときに、進化と真価を問われるのです。


そう自分に言い聞かせて、自分を精一杯コントロールしてます。 

 

 

なんか、悟りの世界みたいなコメント書いてしまいました。

ちなみに、自分は何宗なのかも覚えてなかったりします。

 

 

最後に、先週末の近所のお寺の写真を。

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本当に梅雨?



どうみても夏空でしょう。




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つながりとしあわせ。 [高次脳_ふと感じたこと]

ゴールデンウィーク終わっちゃいましたね。。。

みなさんいかが過ごされましたか?

僕は、有給を使えば夢の11連休もありえたんですが、1日だけお休みをいただいて後はカレンダー通りでした。


特に旅行に行ったとか遠出をしたとかもなく、普通にまったりと。

時間があれば何かするだろうとも思っていましたが、予定が無いとごろごろしちゃいます。

これが障害特有の自発性低下なのか、普通のおじさまでもあり得ることなのか、区別はつきませんが。。。



そんな中、高次に関する機会があったので書きますね。


GW
中、日々コウジ中の柴本さん(知ってますよね?)と親交のある方々とで集まる機会があったので、参加させていただきました。

基本は家族会なのですが、今回は当事者の方も参加。

我が家も夫婦で。

その中で、夫婦で参加されていたKさん(旦那さん当事者)は、私と同い年で子供も同じ小6野球少年。

受傷時期や発症原因は違うのですが、社会復帰で相当な苦戦を強いられているところはお互い共通。病前バリバリサラリーマンだったとこも。

初めて会うのに結構話しこんでしまって、気づいたらあっという間に5時間くらいたってました。お互い落ち着いたらバーベキューやりましょうね。

あと情報を色々お持ちでとても洞察力が高い当事者のNさん、的確な助言をいつもありがとうございます。
そしてグループリハで一緒だったEさんの奥さん。Eさん本人は療養中で来れませんでしたが、教えていただいた新宿の鶏ガラとんこつラーメン屋、いつか行きましょう。行っても奥さんには内緒にしておきますから。。。



今回、新たな発見がありました。

当事者のパートナーや家族も同席していると、以外に話がスムーズに進み、有意義に話せることが大いにわかりました。当事者だけだと、上手くコミュニケーションが取れないこともあるからね。おまけに翌日話した内容を、「昨日こういう話したよね」と振り返って、記憶のインプットミスや自身の認識ギャップの修正ができます。

皆さんとお話しできる機会を頂き、改めて御礼申し上げます。


そして数日後、同じ高次の当事者4人で飲んでいたりもしてます。

これはこれでお酒の力も借りてがっつりと。

たまには、お互い生存確認をしながら鼓舞しあわないと、僕ら生きていけません。

こういうのも、僕にとっては丸必です。




受傷後、もうちょっとで丸6年。

最近とても感じることがあります。

「つながり」がとても重要なのではないかと。


医療
社会保障、当事者支援者・周囲のネットワーク、就業環境社会認識の改善などなどなど、高次脳機能障害を取り巻く環境には、未だ課題満載かつ複雑に絡み合っていて、当事者を苦しめています。

そんな中、お互いの知恵や工夫を共有したり、たまには鼓舞したり励まし合ったりと、当事者・支援者同士できることはまだまだ多く、「つながり」を厚くすることが重要なんだなと、改めて切に感じたゴールデンウィークでした。




 

ところでみなさん、中島みゆきさんの「糸」という歌を知っていますか?

ミスチルの桜井さんもカバーしているこの曲。

僕は受傷後にこの曲を知ったのですが、とても好きだったりします。

美しい日本語の歌詞ですね。


 

歌の最後に、「仕合せ」という言葉がでてきます。



 

縦の糸はあなた 横の糸は私

織りなす布は いつか誰かの

傷をかばうかもしれない


 

縦の糸はあなた 横の糸は私

逢うべき糸に 出逢えることを

人は 仕合わせと呼びます


 

とあるブログから、歌詞の真意を引用させていただきました。


 

“「仕合わせ」とは国語の辞書によりますと、「運命の巡り合わせ」という意味なのだそうです。そしていわゆる「幸せ」という言葉とは基本的に意味が異なりますが、みゆきさんはこの2つの言葉を上手に「繋い」でこの「糸」という曲をお書きになったのだと、その深い歌詞の意味を感じ取りました。みなさんは「仕合わせ」と呼べる「幸せ」に巡り逢ったことはございますか?・・・”


 

僕にとって、今の当事者・支援者・医療者との「つながり」は、縦の糸、横の糸のようなもの。

そして織りなす布は いつか誰かの傷をかばい、

「しあわせ」となるのでしょう。


 

気になる方は、ぜひ検索してみてくださいね。



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体感記憶呼び起こし作戦。 [高次脳_ふと感じたこと]

正月明けの3連休、
突如、家族で日帰りスキーに行くことになりました。

きっかけは、今週から始まる次女の幼稚園スキー合宿。
5
歳なのに、この連休明けから34日のスキー合宿です。

ちなみに親は同伴しません。

すごい幼稚園でしょ。



妻がふと、「合宿の前に一度連れて行ってあげたかったなぁ」と。

そういえば、僕も昔は良くスキーに行ってたなぁ。。。

 

この「妻の過去形残念感」+「そういえば昔よく行っていたな想起」が重なって、僕の自発スイッチが入りました。

 

行こう。


 

思い立ったが吉日。

とにかく、「行けば何かが湧いてくるだろう」という想いに駆られました。

 


ちなみに僕は記憶喪失もあるので、いざ準備を始めると「道具はあるのかな、いつ頃まで行っていたのかな、どこに行ってたんだろう、そもそも何揃えればいいんだ?ウエアは?中は何を着るんだっけ??ブーツは履けるか??板は履けるか??リフトは乗れるか??滑れるか???」と???だらけ。

 

そこは妻のサポートも借りながら、なんとか事前準備は完了。



そしてスキー場に到着。
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10
数年前に買った板を置く。

ストックを持つ。

ビンディングにブーツを装着。

そしてリフトに。

 

なんでリフトごときにこんな緊張するんだよ。
でも乗れたよ。

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今度は降りるよ。
ここでこけるとリフトが止まる。
さらに緊張しましたが無事に降りました。



そしていざ、受傷後初滑り。
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最初はスーパーボーゲンから始めましたが、すぐにパラレルに。

 


「身体が覚えてる」



これが第一感想です。
そしてそのまま、我が子のことも忘れながら無我夢中で何本か滑りました。



「そうそう、この感覚」



風を切って斜面を下りる爽快感。

今まで眠っていた何かが呼び起こされる感覚が、脳をよぎります。

 

というか、湧いてくる。

 

この湧いてくる感覚は、
たぶん記憶をなくした人にしかわからないと思う。




こうして、無事に一つ記憶を呼び戻すことができました。


帰宅して片づけをしているときに、リフト券入れから、昔のリフト券の一部が出てきました。

15
年前くらいのリフト券。
98
年とか平成13年。。。

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覚えてないなぁ。



いわっぱら???あらい?????

「こんなとこ行ってた・・これ何県??」というのが正直なところ。

普通の人でも10数年たてば覚えていないこともあると思いますが、自然忘却と区別がつかないのもこの障害の辛いところ。
そこはもうしょうがない。
なにせデジカメデータがあるのは2000年以降であり、当時の写真もない状況なので明確に思い出せません。

こうやってリフト券もあるので、間違いなく十数年前は年10本ぐらいスキー場に行っていたようです(妻証言)。

 

 

でも身体が覚えていました。




やっぱり身体を動かすのはいいね。
頭がすっきりします。

子供もまた行きたいと。

またも、思い立ったが吉日。
さっそく、信州スノーキッズクラブに会員登録してしまいました。

 

今回、思わぬタイミングで、体感記憶の呼び起こしから自発性の向上まで繋げることができました。

この記事を書きながら、ただいま「スキー後筋肉痛」の記憶も蘇ってきている状態。

 

受傷後の冬シーズンの新たな楽しみが一つ増えそうです。



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障害が生じることを伝えて働くこととは? [高次脳_ふと感じたこと]

※あくまでも軽度当事者の主観です。

 

自分の就労の話。

 

現在、受傷後3社目なのですが、就労上、障害が発生することを伝えて就労してます。

 

自身、生死をさまよった状況からの回復だったので、問答無用で、復職先にその旨を伝えた上での復職となりました。

当時は今よりもひどい症状でしたが、それでも僕は「早く仕事に戻せ」と豪語していたとのこと。

 

 

本当に、見えない障害ですね。

 

 

その意欲もあり、受傷4カ月後という早い段階(これが早いのかどうかはわかりませんが・・・)で復職しました。

 

徐々に出社日を増やし、受傷7カ月後には形上の通常勤務(残業なし、出張なし)に。

そして、さらに制限を外し業務負荷を増やしていったんですが、通常勤務1年後に会社を飛び出してしまいました。

 

理由は、負荷増+脳機能が回復するに従い、あまりにも受傷前と違う自分に気づいたからです。

本格就労してからじわじわと気づくんだから、さすがにパニくります。

 

決して、難しいことをしていたわけではありません。

スケジュール、単純なやり取り、ほうれんそうでのミス多発。

 

とにかく辛かったですね。

事前に見えてれば、まだ手の打ちようというのもあるんですが、当時はほとんどお手上げ状態でした。

 

そして会社を飛び出す。

 

 

 

2社目に転職する際には、同じ島(スタッフ)で働く方には転職前にお伝えしました。

 

ただ見た目普通だから、あまり問題視されていなかったと感じます。

 

実際に働いて、ものの数カ月(いや数日)で問題が多発。

前社同様に、スケジュールや、打ち合わせや、業務自体の遂行で。

加えて、不具合が生じることを伝えていない「外部機関とのやりとり」が業務上増加したことも重なりました。

なにせ、外部機関からすると、こっちに不具合があるなんてわからないからね。

 

僕の場合、身体には不具合がないので、見た目普通のおじ様!?です。

なので、がんがん本気でクレームが入ります。

そこは慈善事業ではなく、仕事なので。

 

そしてあえなく沈。。。

 

 

 

3社目に転職する際には2社目の経験も踏まえ、診断書、就労見解書、臨床検査、できるできないリスト、事前3者面談を行ったうえで就労しました(もともと開示してますが、もろもろここまで揃えたのは初)。

 

そして現在、社内の人には就業上不具合が生じることを伝え、なるべく顕在化する業務は避けてもらっているのですが、それでも100%回避することは不可能です。

 

たとえば、少し離れた方や外部機関とのやり取り。

 

いわゆる、障害のことを伝えていない方とのコミュニケーション。

メモを多用しても、代替手段を使っても、やりとりが繁雑になってくると処理できないのが現状です。

 

そういう時はどうしているか?

 

1回きりのやり取りだったら問題ないのですが、何回もやり取りしていく必要がある相手の場合は、不具合があることを先に伝えます。

 

特に、顔の見えない電話でのやり取りは、内容の聞き取りや相手の様子を伺うことが難しく、「当方、電話でのやり取りに難があり、お手数ですがメールでのやり取りでお願いいたします。」と伝え、記録の残るかつワンクッションこっちが考えるペースが保てる、メールでのやり取りをお願いするようにしてます。

 

こう伝えれば、相手にも「ちょっと不具合がある方なんだな」というのがやんわりと伝わります。

この「やんわり」というのが結構ポイントかも。 

 

就労上の課題を、補助具などを使って自分で対処できるのであれば、特に周囲には伝えませんが、自分一人では対応しきれない場合、やんわりと周囲に配慮を求めるようにしています。

一見、自分の評価を落としてしまうようにも見えるかもしれませんが、「見えない障害」は、そうすることによってお互いどうしたらよいかが見えるようになり、結果、円滑なコミュニケーションや就労や信頼構築につながると感じています。

 

周囲の配慮に100%依存するのもおこがましいのですが、一方で「ちょっとした配慮を頂くことでお互い生活しやすくなるよ」というのも、周囲の方々に理解してもらえるようになると嬉しいというのが本音です。

 

 

なによりも職場のメンバーは、就寝時間を差し引けば、家族よりも一緒に過ごす時間が多いわけだからね。

 

 

 

実はこうやって、少しずつ世の中に「高次サポーター」を増やしていくのが、僕の秘密作戦だったりして。

そうすれば、今就労に困っている方や、不幸にも今後受傷される方にとっても優しい社会になるよね。

 

いずれ、一億数千万人がサポーターになるといいな。

そうすると、僕もブログ書かなくても済むかもね。

 

そんなことを夢見る、11月下旬の夜でした。



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情報量と高次脳。 [高次脳_ふと感じたこと]

11月ってこんなに寒かったっけ?

 

受傷後、とても寒がりになりました。

 

当然ながら、体もスリムになり肉体的に寒さに弱くなりました。

あわせて、気温の変化に過敏になるという精神的なものもあるし、脳障害なので物理的に気温変動への対応みたいなものが弱くなった感じもあります。

 

とにかく、ちょっと冷えただけで過剰に「寒い情報」が脳の中を駆け巡って、末梢の身体をブルブル震わせます。

 

 

情報の処理って難しいね。

 

 

先日、本が読めない(全く読めないわけではないですが、登場人物が多かったり話が複雑な本は記憶障害で苦手)のに、本屋さんに立ち寄ったら、知り合いが書いた本が置いてありました。

 

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どうやら相当売れてるらしい。

言語リハ(ST)を受けている僕としては、本のタイトル自体も興味ありありなのですが、さらに気になるグラフを発見。

 

 

 

世の中の情報量は10年間で約530倍に。

 

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総務省「平成18年度情報流通コンセンサス報告書」のグラフ。

詳細を見たい方は総務省のHPへぜひ。

 

 

 

一言で言うと、インターネット、IT、電子化によって、情報量が10年間で530倍に増えているということ。

 

10年間で530倍!?

 

 

ちなみに、厚労省が「高次脳機能障害」を本格的に研究対象として取り組み始めたのは、2001年。

 

一方で、このグラフによると世の中の情報量が上がり始めたのが平成13年あたり。つまり2001年。

 

 

高度医療・救急医療の進化、インフラの整備、助命率の向上など、高次脳機能障害者が物理的に増えているのは間違いないのですが、一方でこの「情報流通量の多さという社会環境」が、高次脳機能障害をより顕在化させていると感じます。

 

よくメタボ系の病気で「現代病」なんて言いますが、高次脳機能障害は「現代障害」と言ってもいいのかもしれませんね。

 

 

いずれにせよ様々な要素が重なって、現代社会における高次脳機能障害者の社会復帰が問題化・複雑化してきているんでしょう。

事実、受傷レベルが私と同程度の知人の多くが、就労上極めて苦戦しています。

あえて“極めて”とつけます。

 

情報社会が、障害を産むとは何たることや。

 

 

一方で、今までは声を出せなかった当事者が、世の中に情報発信できるようになったのも情報社会の恩恵。

高次に限らず、色々な病気や障害の方々の闘病ブログがたくさん世の中にはあります。

それだけではなく、障害の説明や講演会などの情報も知ることも。

 

情報社会が、障害との共生に役立っているのも事実。

 

 

情報って、我々にとっては両刃の剣みたいですね。

うまく情報処理ができるようになることも、うまく高次脳機能障害と付き合う一つの手段だと思っています。

 

事実、情報処理ツールには自身、相当こだわってます。

メモの取り方、見出しの付け方、マーカーペンの引き方、ノート使い分けなどのアナログ対応から、スケジュールの組み方、余分な情報を入れない技・アピール方法、収納方法(evernoteが結構活躍)、スマート端末(iPhone)など高度な技まで。

ここまでやっても、就業上は追いつけないのが現状。

 

できれば情報量が多くない環境にいたいのですが、社会と共生するには、社会の流れに合わせる必要もあり、情報処理能力がより一層求められるのも事実です。

 

情報量と高次脳。

非常に相性が悪い組み合わせなのですが、自分の中で、どこかで折り合いを見つけなくてはいけなく、今でもトライアンドエラーで模索してます。

模索しつつやっと5年。

まだまだ発展中です。



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共生 脳を支配するもの ~5周年記事~ [高次脳_ふと感じたこと]

※この記事に自問自答していて、更新が遅くなりました。

 

5年たったいま、乱高下はあるものの総じて就労が上向きになってきました。

こなせることも増えてきて、それなりに残業することも。

昨年は「こなせないことが多い」と会社からダメ出しを受けましたが、
今年はなんとかドローに持ち込みたく、自分なりに奮闘しているところです。

 

 

ちょうど今、受傷5年後の各種神経心理テストを受けているのですが、相変わらず新しいことを覚える力や暗算など、主に前頭葉機能まわりは不具合を感じます。

今年のスコアがどうなっているかまだ判りませんが、今までの臨床スコアは、受傷後2-3年くらいまでが回復のピークで、そこから劇的な向上はあまりみられません。

 

 

でも就労上では、昨年(受傷後4年目)と今年(受傷後5年目)を比べると、パフォーマンスが向上しています。

自己評価だけでなく、たぶん雇用側の評価も同じ認識かと。

 

臨床スコアは大きく変わっていないのに、なぜ、このタイミングで就労上のパフォーマンス向上が起こるのか?

 

ここからは、私的な感想。

 

 

○実脳機能の向上。

確かに、脳機能の回復自体は2-3年で頭打ちのイメージがあります。

しかし、そもそも臨床スコアで評価取得できる項目自体、就労上で使う脳機能の一部や主要な部分のみを抑えているにすぎないとも思っています。

臨床スコア上には出ないけど、社会生活・就業経験の積み重ねで、検査に出ない脳機能や、残された脳機能が学習・向上していると、誠に勝手ながら感じています。

そして、失われた機能をある程度補完・代替し、複雑でない業務の、スピード・クオリティは向上してきたのを実感してます。

 

「それでも脳は向上する」

 

 

○自身の障害の受容。

これは、前回、前々回の記事を見てね。

ここまで自分を振り返れば、受容困難と言わる障害受容も促進されるし、100%保証できるものではないけど100%諦めることもないよ、というのは言い切れます。

 

「それでも脳は自分を受け入れる」

 

 

○代替手段の習得・熟達。

メモやレコーダーや速記、コミュニケーション技量、スケジュール管理、タスク管理、情報整理などなどなど、あげるときりがないのですが、いずれも毎年進化しているのを感じます。

たとえば、メモの取り方。

以前よりも、メモをとる量が少なくなってきました。もしかしたら記憶力の向上があるのかもしれませんが、それよりも、どこを記録すれば効率良くメモが取れるようになるかを習得してきた感じがしています。

効率を上げて負荷を下げれば、その分、他の作業に能力を回せます。

 

「それでも脳は学習する」

 

 

○支援者のマネジメントの重要さ。

高次脳機能障害は、本人が自分をマネジメントできなくなる障害なので、軌道に乗るまでは、支援者のマネジメントが極めて重要だと感じています。

ついつい負荷をかけすぎたり、過度に悩みすぎたり。

事実、今でも薄く長く、リハ介入を継続しています。

近親者への報告は感情が入りやすいですが、専門職や第三者への客観的な報告は、客観的な指摘を得ることが可能。プラス自分の客観的な振り返りにも貢献。
結果的に、安定した就労につながったと認識してます。

 

「それでも脳は人を頼る」

 

 

○周囲の理解の必須。

もちろん職場の方々には、「高次脳機能障害」を有しているというのは伝えてあるのですが、当初は「全般性不安障害」などの、「症候群、シンドローム」ぐらいの認識でしかなかったと感じます。

現在の就業先で2年経過したのですが、就業上関与が深い方は、たぶん「この人、サボってるんではなくて、本当に不具合があるんだな」というのをリアルに感じていただけるようになりました。

そして理解だけに留まらず、実際に就労環境の調整に対応していただき、昨年より、残された機能でこなせる業務内容へとシフト。
上向きになった主要因です。

逆に言うと、こんなブログ書いたり講演したりできても、いわゆる普通の会社で働く以上は、周囲の配慮がないと就労は円滑にはいかないと感じます。


金八先生のお言葉。

”人という漢字、人は人によって支えられている”

 

「それでも脳は人を信ずる」

 

 

○自信・自尊心の回復

前回、自身の振り返りや布石をザッと書きましたが、それよりはるかに多くの経験を、就業上で実体験しており、その積み重ねが自信とつながっています。

これはどの病気・障害でも共通なのかもしれませんが、自己認識機能が失われる高次脳機能障害の場合、特に再構築が難しいのも事実です。

マイペースで積み重ねること、そこを支援者がマネジメントすること、達成したことは必ず記録すること、この3つを意識してやってきました。

 

記録は記憶のために。

記憶は未来の自分のために。

 

「それでも脳はプライドを取り戻す」

 

 

 

私が通うグループリハの、当事者のお母さんのお話し。

 

息子さんは、数年前はとても手がつけられず表にも出せない状態でしたが、今年から就労が決まり安定してきたとの話を、先日伺いました。

 

「落ち着いた要因は?」と聞いたら、雇用先の上司や仲間がとても理解のある方で、とても良く障害のことを理解して対応を頂いているとのこと。

何よりも、「仕事に行くのが楽しい」そうです。

そして、生活全般も落ち着いてきているとのこと。

就労が安定すると、問題行動なども減ります。

 

なぜならば、客観的な社会的評価を得られるから。

障害を抱えても、自分の存在が社会から認められるのを感じると、上向きに転換すると信じます。


そして、
周囲も否定しなくなり、
自分自身も否定しなくなり、

そこに初めて、共生の場ができるというのを、自分も経験しました。

 

 

 

脳を支配するもの。

 

それは脳機能ではなく、

自分の想いやビジョンではないかと、

5年目にして切に感じています。

 

 

 

5年たって、この障害と一生共生していく自分の姿が、やっと見え始めてきました。

 

障害は、なかったことにはできません。

だけど、「人生半ばで病気で記憶が悪くなった一人の生活者」として社会と共生していくことは、可能であると信じます。

 

「それでも自分はあきらめない。」

 

 

同じ高次脳機能障害の知人達と、飲みながら良く語る言葉があります。

 

「ワレワレが戻る社会は二つあるわけではない。戻る社会は一つである」


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障害を認識するきっかけ「受容」 ~5周年記事~ [高次脳_ふと感じたこと]

※長いけど、がんばって振り返ってみたので、最後まで読んでね。

 

障害の「認識」には、いくつかの段階があることを、前の記事で書きました。

「認知」「理解」そして「受容」。

5年という歳月を振り返り、ざっくり意識変容の経過をステージ分けすると、上記のようになると捉えています。

今回は、3段階目の「受容」について。

 

「受容とは?」

 

受け入れて、とりこむこと。(大辞泉)

 

読んで字の如し。

しかし、高次脳にとってこのステージが最も難関であると感じてます。

 

なかなか受け入れられないんだよね。

 

周囲から見えないし、自分からも見えない。

周囲も期待しちゃうし、自分も期待しちゃう。

病前のキャリアもあるし、自尊心・プライドもある。

 

受傷時期や価値観や生活環境など、人によって様々ですが、おおむね私も含め、サラリーマンバリバリバンバン時代に受傷された方は、このキャリアの存在が障害受容を困難なものにしていると感じます。

 

「障害をなかったことにできる」という期待を、心の底で抱いていたと感じます。だから「こんなの自分じゃない」とか「環境変えればもっとうまくいく」なんて、半ば強引に復転職したり、あがいたり、もがいたり。

 

 

では、なぜその状況から逸し、受容することができたのか?(いまだ受容できたとは言い切れませんが)

 

そこにはいくつかの要因があげられます。

 

ひとつは、復転職を繰り返すことで、徐々に自分の障害の特性を体感で捉えるようになったこと。

いわゆるトライアンドエラー。

社会復帰後、病前のようにうまくいかないことが頻発しました。周囲からも白い目で見られ、精神的にも多大な苦痛を伴いましたが、一方で、障害への気づきや自己対処策も早く習得したと感じます。

最近は「エラーレス」という手法もあるようですが、社会と関わること自体がリハビリと捉え、あせらず、無理せず、でも0.1歩先の自分を描いて、新しい自分創りをしていくことが、障害受容につながると信じます。

失敗しても、挑戦したことは無駄にはなりません。

 

 

 

リハビリを継続していたことも、大きな要因と感じます。

社会復帰直前は「リハビリもう止めようか」なんてことも言っていたのですが、薄くでも継続していたことによって、結果的に、専門家による客観的継時変化の取得や、サジェッションが中長期に得られ、自分や家族では気づけない指摘を要所要所いただきました。

それだけにとどまらず、自分からの第三者への報告は、自分にとっても客観的な振り返りとして認識されます(近親者への報告は感情や愚痴が多い)。

受傷程度にもよりますが、長期支援・介入は、最終的には当事者のQOLも医療経済的にもプラスになるかと。

本人が自立できれば、パートナーが働けるし、二人で働ければさらにプラスに。

 

 

 

そんな状況の中、最も障害受容を促進させた出来事があります。

 

 

それは、「自分を振り返ること」でした。

それも、オフィシャルな振り返り。

 

 

受傷後、12年後、働けば働くほどうまくいかず訳がわからずパニック状況に。

苦戦を見かねたOTさん(ジョブコーチ兼任)から、困っている同じ境遇の患者さんにアドバイスをしたり、自分の経験を共有することで、「自分に何が起きたかを客観的に振り返ること」を勧められました。

さりげない、障害受容の促進策ですね。

これが、結果的に僕には相当効果的で、今の自分を支えています。

 

以下、その「自分振り返りイベント」の経緯を記載。

 

 

20112月、臨床作業療法という専門誌に、当事者の寄稿欄に執筆(掲載は201112月号)。

http://asayume001.blog.so-net.ne.jp/2011-10-14

タイトルは「働くことが最高のリハビリ」。

おいおい。

こんな状況下でこのタイトルをつけた、自分に拍手を送りたいと思います。

たった800字の原稿を、2カ月以上かかって書きました。

というか、文章がまとめられなかったんです。当時の下書きをみると3000字以上となり、やり取りさせていただいた出版社の方からは「相当文章をまとめるに苦労されてますね」との指摘が。。。

 

 

■同じく2月、OTさんから、「病院の家族会で、その経験をお話ししてくれませんか?」と依頼され、同じく復職で苦戦している数名の当事者・家族の前でお話ししました。

 

このとき、初めて高次脳機能障害のスライドを作りました。

http://www.slideshare.net/asayume001/110225

たった6枚を作るのに、これも実は1-2ヶ月くらい費やす。

パワポの習得に時間がかかるのではなく、自分に何が起きていて、どうまとめたらよいのかが、わからなかったのです。土日も、ずっと家にこもって。

この時、初めて「自分は見えていないんだな」というのを、とても体感しました。

実に、就労復帰2年経過した後の話。

「見えない障害」に、本気で向き合うきっかけとなった原点。

 

この時に、「これは相当おかしい。真剣に向き合わなくては崩壊する」と思い、「自分に起きたことや、今の自分をまとめてみよう」というのを始めたのがこのブログ。

 

 

20113月、このブログを始める。

http://asayume001.blog.so-net.ne.jp/2012-03-01

ブログ自体、病前にも経験がなく、全く初めての挑戦。嫌になったらいつでも辞めようと思いつつ、はや2年半。継続は力なり。

 

 

20116月、自分を見直すために、一時仕事をお休みに。

雇用先の上司には事前に高次脳機能障害のことは伝えてあったんですが、雇用先は把握しておらず、不安定飛行になっていたので一旦休息。けじめをつける。

 

 

201110月、ふとしたきっかけで、現在の雇用先に転職する機会をいただき再々就職。

今度は、医師の診断書・就業見解書・神経心理スコア・できるできないリスト・障害のパンフレット・自分の高次の特徴リストなどなどなどをオフィシャルに提出して、再トライ。

同時に、当事者会への参加や、講演活動が活発になります。

 

 

201110月、南多摩障害者就労促進プロジェクトで講演。

このときのスライドはこれ。

http://www.slideshare.net/asayume001/111016-15084370

前回よりもかなり進化しているかと。参加者も医療従事者メインで50名ほど。口から心臓が出るほど緊張して、終わった後、実は病院のリハ室で横になって休ませてもらいました。

 

 

■翌20126月。

前回の講演がきっかけで、とある大学の作業療法専攻の学生3年生に90分講義。

40名ほど。自分が大学の講義に立つとは夢にも思いませんでした。やればできる。

このときの記事と40人の夢はこちら。

http://asayume001.blog.so-net.ne.jp/2012-06-06

 

 

201210月、府中市の学習会で講演。

40名ほど。ばらつきはあるものの総じて軌道が上向きに。

このときの記事はこちら。

http://www.slideshare.net/asayume001/121104

 

20131月、STさん向けに講演。

専門職50名ほど。このときのスライドはこれ。

http://www.slideshare.net/asayume001/s-tnet-130112

 

 

20132月、かしのきひので10分ほど登壇

150名。参加者が3ケタ以上いなっても、話せるようになりました。

http://www.slideshare.net/asayume001/130224-16780752

 

 

20133月、永世病院さんで回復期当事者の方に90分ほど講演。

20名ちょっと。回復期の方とお会いするのも、本当に自分にとっては大きな挑戦でした。

http://asayume001.blog.so-net.ne.jp/2013-03-17

 

 

20136

とある大学の作業療法専攻の学生3年生に90分講義

2年目突入。このときの記事と47人の夢はこちら。

http://asayume001.blog.so-net.ne.jp/2013-06-12

 

 

20137月、東京都心身障害者センターで40分ほど講演。

300名。高校の軽音楽部以来の大勢の前での登壇。

http://asayume001.blog.so-net.ne.jp/2013-07-19

 

 

 

ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。

自分の性格上、向き合うと決めたら、とことんやろうと思うタイプの人間であり、結果、障害受容のためにプラスになると思うことは、すべて挑戦してみました。

 

もともと人前で話したり、企画を組み立てるのを得意としていたのですが、ここまで徹底的に自分を振り返って、オフィシャルに他人に語るようになると、さすがに自分の障害を把握できるようになってきました。そして講演する毎に、講演の規模、時間、クオリティが上がっているのを、周囲からも指摘をいただいています。

 

振り返るごとに、自分が正しく捉えられるようになり、見えない障害の「受容」につながったと信じています。

 

 

50万人いたら50万通りのやり方があり、こんな極端な破天荒なぶりなやり方が、到底、万人に当てはまるとも思えないのですが、でも、「自分を客観的に振り返ること」は、受容に大きく結び付くと感じます。

そして、一人で孤軍奮闘見に行くには余りにも負荷が大きいので、その状況を周囲が理解して、応援してくれるようになると、負荷が分散され円滑な障害受容や社会復帰につながると思います。

 

 

だから、周囲や支援者の理解が必要な障害なのです。。。

 

 

講演の際に、必ず言うことがあります。

 

ワレワレは社会復帰がエンドポイントではなく、社会との共生がエンドポイントである。


ワレワレは障害者である前に、一生活者であり人である。

 

障害の受容は、とても多くの困難やハードルを乗り越えながら達成されると感じます。


 

ニューヨーク大、Rusk前頭葉プログラムというのがあるのですが、そこには、当事者はエベレストの頂上を目指すぐらいの覚悟にコミットすべきであると記載されています。

実際、軽度だから復帰できたというよりも、本当は相当な困難とそれを乗り越えるための工夫を、たくさん経験してきたから、今の自分があると感じてます。
ここまで記事を書ききるだけのことは、一通り経験してきました。

逆に、僕の当事者仲間にも同じように乗り越えてきた同士も結構います。

ぜひ周囲の方は、当事者本人のこの状況を理解していただき、新しい自分創りを応援してくれると、お互い気持のよい社会環境になると思います。

 

 

ここまで来ると、その先の「共生」という、エンドポイントが視野に入ってきました。

 

では次回は、「共生」について。

 


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障害を認識するきっかけ「理解」 ~5周年記事~ [高次脳_ふと感じたこと]

前回は、障害認識の「認知」について書きました。
今回は、その次の段階の、「理解」について書きます。

「理解」とは?  ※大辞泉


り‐かい【理解】 

物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。

実は、この記事を書いている今の自分が、「自分の高次脳機能障害を100%正しく理解しているか?」と問われると、「おそらく」「たぶん」というのが近い状況です。

もしくは、「100%とは言い切れない」とか。

 

その時は理解したと思っていても、実際にその後12年と積み重ねていくことで、障害への認識が変わったり、理解が進んでいるのを感じます。

だから100%とは言えないのです。

10年たった時には、もっと理解が進んでいるかもしれないので。

ただ、5年という歳月をかけて、様々な経験を積んで、おおむね見えてきた感もあるので、それを前提として今の自分の認識をつづります。



そもそも、何をもって理解したと規定するか?



 

あくまでも個人の経験で語ってますが、「他人に自分の障害のことを説明できるか?」というのが指標としてあげられると思います。

それも、「症状の説明」ではなく、相手に「どうしてもらいたいか?」が説明できるようになることかと。

例えば、「新しいことを覚えることが苦手です」というのはもちろん伝えるのですが、経験上、それだけではあまり効果的ではないです。

⇒「新しいことを覚えることが苦手なので、なるべく定型的な業務や、覚えることに時間的配慮を頂けると、結果的に効率が上がります」


 

「注意欠陥障害があります」

これだけ伝えると、たぶん相手は何のことかわかりません。

⇒「周囲の騒音に弱いので、角の席やイヤホンをさせていただくと効率が上がります」

事実、僕の席は端っことなり、集中して作業するときにはイヤホンをしています。その間、周囲はあまり僕に声をかけないし、必要な時は手を振って合図をしてくれるようになりました。

 

「理解」とは、自分には高次脳機能障害のこういう諸症状があるというのを知るにとどまらず、

・その症状が、就業上どういう影響を及ぼすか?

・その影響を少なくするために、どうしたらよいか?

というのを自分自身で把握することだと思います。


それによって、自分の高次脳機能障害のことを、正しく伝えることができるようになり、結果、コミュニケーションギャップなどを軽減し、継続的な就業に結び付くと感じます。

 

そのためには、一度体験して、何ができて何ができないのかを把握する必要があるでしょう。反面、当事者は不安で辛い状況に陥ることもあるし、それがトラウマとなり長期に苦戦することもあります。


そこを、周囲の理解や配慮もいただきながら、無理ない程度に時間をかけて体験し、理解を促進していくのが良いと思います。

というか、ここの支援は必須だと個人的には思っています。

 

こんな経緯で、


自分に自分の高次脳機能障害を「理解」させたと捉えています。

次回は「障害の受容」について。


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障害を認識するきっかけ「認知」 ~5周年記事~ [高次脳_ふと感じたこと]

「高次脳機能障害を認識するきっかけは?」

 

これは一言では難しいね。

 

ある日突然、「障害を認識しました!」って訳ではないから。

5年という歳月を重ね、ゆっくり認識してきた感じです。

 

でも振り返ると、その中にも認識のきっかけとなりうる事象が、いくつかありました。

 

そもそも「認識」はどのように構築されるか?

個人的な見解ですが、「認識」は3つの段階を経て構築されると捉えてます。

 

1.認知(高次脳機能障害の名前を知っている)

2.理解(高次脳機能障害の名前を知っているし、内容も理解している)

3.受容(高次脳機能障害の内容も理解しているし、自分ごととして受け入れている)

 

 

 

まず、一つ目の「認知」について。

 

 

そもそも何をもって「認知したか」とするのか悩むところですが、“メモリーノートに「自分は高次脳機能障害を受傷した」と自分で書いた”時がありました。

 

それは、受傷後2カ月ちょっと経ったときのこと。

親戚が、僕宛ではなく、妻宛に送った数枚のファックスがきっかけでした。

 

中身は、埼玉県の高次脳機能障害の簡単なパンフレットをコピーしたもの。

それと一緒に、「辛いかもしれないけどがんばれ」とのメッセージが。

 

棚にしまってあったのを、たまたま僕が見つけてしまったんです。

読んで驚いたのですが、自分の症状とまったく同じことが書いてあり、「俺はこの高次脳機能障害なのか?」と妻に詰め寄ったとのこと。

その日のメモリーノートには、「正直、驚愕した。そして、何よりも行政が発行しているパンフレットであることが励みになった」と書き記してあります。

 

 

 

実はそれまでの間、病院や家族から「高次脳機能障害」の説明を何回か受けており、その都度、自分も「わかった。わかった。」と言っていたそうです。

参考までに、その時(受傷二ヶ月後)の三宅式記銘検査(10問)の無関係対語試験のスコアを。

 

1回目「0

2回目「0

3回目「1

 

泣けるね。

このスコア。

無関係の言葉は、ほぼ覚えられない状況でした。

一方で、有関係のスコアはある程度保たれていました。

 

なぜ、認知がなされたのか?

 

「高次脳機能障害=自分に関係がある重大なこと」という、有関係の方程式ができたからと捉えてます。

 

 

 

では、何がきっかけで、有関係の方程式はできたのか?

当時は症状もひどく、自分の認識にも信憑性を持てない部分もありますが、あえて思い返すと以下のことが挙げられます。

 

 

・脳機能が回復してきたこと。

 

・情報接触が偶発的であったこと。

 

・第三者からの間接的な指摘であったこと。

 

・情報元が行政機関であったこと。

 

 

脳機能の向上は自然回復として、その他3項目について。

 

 

「情報接触が偶発的」

多分、そのファックスを、直接、見せられても見なかったと思います。

高次特有の、押し付けられる事に拒否感や抵抗感を抱く傾向が強くあったので。

そんな状況の中、偶然見つけてしまったところに、自然に情報を受け入れることができたと感じます。

 

 

「第三者からの間接的な指摘」

妻や病院の方からいくら言われても「ふーん」という感じだったんですが、ちょっと離れた方からズバッと言われると、スーッと頭に入ることが多々があります。

この場合、僕宛ではなく、妻宛にねぎらいの言葉と一緒に送ってきたものを見てしまったため、脳が「客観的な大ごと」と認識したのが大きな要因と感じています。

 

 

「行政機関という肩書」

それは当事者向けのわかりやすいパンフレットでした。

でも、わかりやすいだけでは、ここまで意識の変化が起きなかったと思います。

衝撃的だったのは、この障害は「行政がオフィシャルに対策をしている、結構大変な障害」であるという認識がなされたことです。

事実、メモリーノートにはそのことが書かれており、どこで調べたか、結構社会的にも問題になっていることまで書いてました。

 

 

 

これらのことが重なって、「高次脳機能障害=自分に関係がある重大なこと」という方程式、いわゆる「認知」がなされたと捉えています。

 

 

 

「認知」において、情報の入り方、いわゆるスタイルはとても大切であると感じます。

 

客観性・信憑性があって、印象度があって、そして何回も接触して。

情報接触の、質と量とタイミング。

 

これらがうまく重なると、自分に関係ある情報と認知されやすい傾向があります。

 

これって健常者でも同じ。

ただ、それがより顕著にでるんでしょう。

 

 

とりあえず、「障害認識」の第一段階である「認知」について掘り下げてみました。

 

こんな感じで、5周年記念記事は自分を振り返ってみようと思います。

 


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受傷して5年が経ちました~5周年記事~ [高次脳_ふと感じたこと]

 

受傷してから、もうすぐ5年。
その間、いろいろなことがありました。


何が起きたか、わけのわからない急性期。

なんでリハ受けてるのかも、あまり理解しないまますごした回復期。

障害の本質が見えてきた、維持期・社会復期。

あたらしい自分が見え始めた、社会共生期。。。



先日、都心障(東京都心身障害者福祉センター)で講演させていただいた際、講演後にいくつか質問をいただきました。

・障害を認識するきっかけは?

・障害と向き合うきっかけは?

・どの時期にどんな支援があったか?

・どの時期にどんな工夫をしてきたのか?

40分で5年分のことを、ギュっと詰めてお話させていただきましたが、とても話しきれませんでした。
そこで、5周年記事として、これから数回に分けて、つらつらと書いていこうと思います。


苦節5年。

仕事しながらなので、週一ペースで。

自分なりに感じたことをつらつらと書きますね。

 


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記憶旅行 [高次脳_ふと感じたこと]

先週、ちょっと早めの夏休みをとって、家族旅行に行ってきました。

 

旅先は沖縄。

受傷後、飛行機に乗った家族旅行は初めて。

我が家にとって、5年ぶりの沖縄旅行です。

 

きっかけは、4歳の次女の一言。

当時、まだ産まれていなかった次女が、5年前(受傷直前、2008年)の自分のいない家族旅行のDVDや写真を最近見るようになり「行ってみたいなぁ~」と。

0000.jpg 

5年前の沖縄水納島での長男・長女の写真。後ろに伊江島のタッチュー(城山)が見えます。

 

この映像を含め、病前の出来事を思い返すことが辛かった時期がありました。

なぜなら、記憶がなくなってしまったことが自分で体感できるからです。

 

「こんな大切なことも忘れてしまったのか。」

 

あれから5年。

生死の淵から、つぎはぎの社会復帰を経て、僕自身も家族も落ち着き始めました。

 

そして、

 

新しく産まれた次女にも同じ体験をさせたく、

失われた記憶と向き合いたく、

ここまで取り戻したことを確認したく、

もう一度、あの場所で家族写真を撮りたく、

 

意を決して、行ってきました。沖縄に。

 

出発前の羽田空港。曇り空の中、次女が折り紙で飛行機を作っていました。

0001.jpg

 

 

僕の記憶障害は、逆向性と前向性の両健忘を有しています。

医学用語って難しいね。

ようするに、過去の記憶喪失と、新しいことを覚える記憶力の両方に難があります。

 

記憶喪失については、過去半年~1年はがっつりと。

そこから過去数年分はなだらかに記憶が失われていて、昔のことは比較的覚えている状態。

失われた記憶は、同じ体験やふとしたきっかけで、蘇ってくることもあります。

だから、旅程もほぼ当時と同じにして、記憶だけでなく当時の感覚も取り戻しやすい旅行にもしました。

 

那覇空港を出たら、そこは真夏。

0002.jpg

そうそうこんな感じだった。

 

「ここの風景、覚えている」

「ここのお店、買い物したよね」

「ここで写真、撮ったよね」

「この海、来たよね」

 

車窓からの風景ひとつにしても、記憶が湯水のように蘇ってきます。

 

記憶が溢れ出る。

 

この感覚は、記憶を失ったものでしか体感できないと思う。

ものすごい衝撃と、取り戻した感動が、頭の中を過ります。

 

もとぶ元気村での、いるかトレーニング体験と3人の子供たち。

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海上いかだでの釣り。

0004.jpg

 

水納島ビーチのお兄さんと次女。

0005.jpg 



そして、5年前と同じ水納島のビーチで、次女も入れて3人で記念撮影。

0006.jpg


3人揃ったこの写真を、どうしても撮りたかったんです。

  

今回の旅行は、単なる家族旅行ではなく、僕にとって記憶を蘇らせる旅になりました。

そして、新たな家族と一緒に、再び思い出の場所に来られたことに、ちょっとした自信や生きがいにつながったのを感じます。

実際のところ、旅行のプランもうまく立てられず妻に手伝ってもらっていますが。。。

でも、改めて思い出の場所で同じ写真を撮れたことに5年間の苦節が報われた気がした、そんな記憶を振り返る良い旅行でした。

 

 

 

おまけ。

 

道中、俳優の杉浦太陽さんと、元モーニング娘の辻希美さん夫妻と同じホテルでした。

辻さんの親も一緒で、妻なんかプールで世間話しをしていましたよ。

とても、仲睦まじい夫婦でした(2人のブログで沖縄旅行のこと絶賛書込中)。

 

その後、僕と長男は、杉浦さん親子と大浴場も一緒で。。。


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slow but steady wins the race. [高次脳_ふと感じたこと]

7月もはや2週間が過ぎましたが、暑い日が続きますね。
関東地方は、例年より15日早い梅雨明けとなりました。

15日早いってどうよ。。。


朝から照り続く太陽、そして夕方に突如のゲリラ豪雨。
そんな日が多い気がします。

今日も買い物ついでにガーデニングショップに行って(意外に庭いじりが趣味だったりします)、家に帰って植え付けてたら大粒の雨が。
IMG_1964.jpg


昔と比べて、気候が変わってきているんだろうね。
と言っても、昔の記憶もあいまいなのですが。

連日こんな感じで、はや2週間も過ぎてしまったのですが、暑さに加え仕事もバタバタしつつ早くも夏バテ気味。
バタバテ?
この調子でいくと、8月はどうなってしまうことやら。




暑くなるとなると、必ず思い出す出来事があります。
それは第二の誕生日。

2008年の8月、37歳で危うく三途の川を渡りきるところでした。

来月であれから5年。

未就学の長男長女は小学高学年に、お腹の中にいた次女は幼稚園生になりました。
子供の成長は本当に早いね。

そして自分も、相当苦戦しつつも何とか取り戻してきた感もあります。
これを、回復というのか成長というのか進化というのかわかりませんが。
当初は、電車の乗り換えや、お金の支払いも危うかったからね。


振り返ると、何とも不思議な5年間です。
正直、よくわからないまま突き進んできた感じが一番大きいのですが、でも、歳月や経験が回復の一助となったのも事実です。



slow but steady wins the race.


復職後すごく苦戦していたときに、恩師から教えていただいたことわざ。

ゆっくり、でも着実に経験を積んでいくのがとても重要だと、改めて感じた受傷5年後の雑感です。


IMG_1942.jpg家電量販店にいたぴちょんくん。
子供たちに人気。この暑さだから、エアコンも猛アピールか。

中の人が熱中症にならないようにね。


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自助と互助と共助と公助。~リアルコウジ村&コロポックル交流会に参加してきました~ [高次脳_ふと感じたこと]

6/8日(土)@東京都大田区 東京工科大学。
リアルコウジ村&コロポックル交流会に参加してきました。
総勢30名弱ぐらい。

基本は家族会なんですが、妻と一緒に私も参加。
受傷者本人は、僕とIさん(未来の会)のみ。

まず驚いたのは、会場の東京工科大学のキャンパス。
都心近郊駅前に、こんなキャンパスがあるとは思いませんでした。
大学の先生方も、とても親切で感謝ですね。

068.jpg

そしてコロポックルさんと、コウジ村の皆さんのお話し。

パートナーや支援者の切実な声を聞くことができました。
コロポックルさんの会報も読ませていただいたのですが、支援者の切実な現状と、対応のための知恵と工夫が盛り込まれているのがわかりました。

特に「障害が軽い」≠「生活しやすい」「生きやすい」の記事は、自分のことなんじゃないかくらい、あてはまる内容と納得できる分析が書かれていました。
コロポックルさん、歴史がある分しっかりとした活動をされているんですね。


こんなことを質問されました。
「近親者から、○○してと言われるのがダメでしょう?」

あたり。
これたぶん全国共通。

「その時はどういう気持ちなの?」

僕「指示されないと遂行できないのに、不思議なことに、指示されると嫌悪感を抱くんです。それがわかる自分にも腹立たしくて、相当複雑な気持ちです。」

自分で気づいたんですが、難しいね。
この心理。
でも、そういうところで引っかかっていることを、見事に見抜かれてちょっと嬉しかったりもします。


話がとまらず時間も過ぎた中、終了。
皆さんはそのあと会食に行かれましたが、僕と妻は子供も親戚に預けてきたこともあり帰宅。


参加して思ったのですが、他のパートナーの方も、「よく解ってるなこの人」と共感できることが多かったりします。
ちなみに、今日、講義をしてきた大学の先生から教わったんですが、パートナーも「当事者」なんですね。
本人も辛いが、家族も辛い。
そして、「当事者」なんです。


ところで、自助、互助、共助、公助ってご存知ですか。

自助:他人の力によらず、当事者の力だけで課題を解決すること。
互助:当事者の周囲にいる近い人が、お互い自発的に手をさしのべること。
共助:地域や市民レベルでの支え合い。NPOや協同組合など事業やボランティア活動のこと。
公助:行政による支援。公的なサービスにより、個人では解決できない生活問題に対処すること。


高次脳機能障害において、どの「助」もまだ未整備なのかと。
そして、他の疾患や障害に比して、周りの人たちと助け合う「互助」「共助」の必要性が高いと、感じています。

なぜなら、本人は、自分の障害を認識すること自体が難しい障害だから。
そして、認識できたからと言って、対処する機能も十分に残っているわけではありません。
当事者だけで、対応できる障害ではないのです。

だからと言って、全てを頼るわけにもいかず、自分たちで取り戻せることは取り戻そうとする自助会の動きも出てきています。


今回参加して、このスキームが大切であることを感じました。

高次脳機能障害、まだ歴史も浅く未制定の部分も多々あります。
これから自分たちで創っていかなくてはいけないんだろうね。
次の当事者のためにも。これからの社会のためにも。

自助・互助・共助・公助の大切さを、改めて認識させていただいた一日でした。

※コロポックルさんから頂いた、当事者作の「スパイスクッキー」。袋もかわいいし、とてもおいしかったですよ。
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いきがいクリエーションvol.3 ~夢の力を生きる力に~ [高次脳_ふと感じたこと]

※個人の主観と受傷程度によって違うのでご了承を。

先日、とても感銘を受けたドキュメンタリー番組がありました。


 

TBSテレビ未来遺産 “いのちの輝きSP” ヒューマンサイエンス 何が奇跡を呼んだのか 生きる力…真実の記録(5/22

自らの可能性にかけ結婚・出産に挑んだ「記憶障害の花嫁」

~高校生の時、交通事故で左半身麻痺になってしまったつかささん。同時に「高次脳機能障害」で昨日起こったことすらまともには覚えていられない記憶障害を負ってしまいました。 つらいリハビリに耐え生きる目標となったのは、「保健室の先生になりたい」「お嫁さんになりたい」という夢。大学進学、一人暮らし、就職そして結婚…夢をあきらめずひたむきに生きた、つかささんの「生きる力」を追います~
TBSホームページより)

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たまたま見たのですが、同じ高次脳機能障害を得ながらも、たくましく前向きに歩んでいるつかささんの姿に感銘を受けました。

夢を追い求め、実際に、大学に進学・就職・結婚・出産。

そして、つかささんは出産後、肝機能不全になり10日後に永眠。

我が子を抱えながら。



あまりにも壮絶なドキュメンタリーでした。
というか涙が止まりません。


番組中、テロップにこんな言葉が。



「夢の力を生きる力に」。



病気や障害を受けるということは、人生の中でとても大きな出来事であり、問答無用で生き方の変更を求められたりします。
理不尽だし、納得いかない事も多いでしょう。
でも、私も必ず講演の際に話しますが、”障害をなかった事”にはできません。

辛いけど自分の障害を受け入れ、そしてできる範囲で0.1歩でも前向きに歩んでいくほうが、自分にとっても、家族や周囲にとっても、お互い前向きな気持ちになれると感じます。

つかささんのその姿に、改めて前向きに歩んでいく勇気をもらった気がします。


障害で手放さなきゃいけないものもあるけど、持ち続けていたい夢や、追い続けていきたい希望もあるよね。
そしてそれが、前に歩んでいこう、新しいことに挑戦しよう、社会に戻ろう、人生もう一回楽しもう、という気持ちにつながればいいんだよね。

きっと同じ気持ちなんだろうなと、勝手に想像してしまいました。


この言葉が心に残ります。

「外はバリアフリーはなくていい。だって(助けてくれる人がいないと)人の温かさを感じられなくなっちゃうでしょう(微笑)」


この話は、2014年公開予定の映画「抱きしめたい(主演:北川景子、錦戸亮)」で再現されるとのことです。

想いや志は、後世に引き継がれるよ。
いや、ワレワレが引き継がなくてはいけない、そんな気持ちにさせてくれた、つかささんの夢の力でした。


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いきがいクリエーションvol.2 ~崩れる自分と向き合う勇気~ [高次脳_ふと感じたこと]

※個人の主観と受傷程度によって違うのでご了承を。

前回の続き。
「見えない障害」なのに、「自分が崩れていく過程が自分で見える」ってどういうことか?

急性期~回復期の休職中は、少なからずあまり障害のことを自覚していませんでした。
かろうじて認知はしていたけど。
就労前リハも受けましたが、なかなか気づけないね。

障害の程度も、今よりも全然重かったんだけど(何日だけでなく何月かも答えられないし、昨日何してたかとかも覚えてないし・・・)、自分も「障害?いずれ治るだろう。手足も動くじゃないか。全然大丈夫だよ。早く仕事に戻してくれよ。。。」くらいの認識だったらしい。
メモリーノートや、家族・リハさんの話によると、かなり就業復帰の意向が高く、周囲に「まだ早い」とおさえられていたとのことです。


そんな状況で、意気揚々と復職。
数ヶ月の猶予期間を経て、通常就労に戻りました。
最初のうちは「よく戻ってきた」と歓迎ムードなのですが、じきに「そろそろ働こうか」に変わります。

そして以前の“脳”ではない事に、“脳”が気付きはじめました。
「話が聞き取れない」
「議論がかみ合わない」
「スケジュールが把握できない」
・・・・・・・・・・・・


働けば働くほど障害に気付き、心が折れます。
できれば、事前に解っていればよかったんだけどね。
備えあれば憂いなし。
そうは問屋が卸さないか。
リハさんに強く言われていたんですが、障害のことを自分で理解できていませんでした。

僕の場合、ある程度就業におけるキャリア実績や期待値みたいなものが、自分にも周囲にも共通認識としてあったので、それを否定して再度創り直すことの壮絶さに、本当に苦戦しました。
「このタイミングでもう一回やりなおし?」「こんなの自分じゃない」みたいな。

きっかけがあれば、やる気が出て障害を乗り越えられる、もしくは元の自分を取り戻せるんじゃないか、と思って転職。
「逃げの転職」「自己逃避の転職」だったと感じてます。
頑張ってトライしましたが、結局、「障害をなかったこと」にはできませんでした。
あえなく撃沈。

そして、障害と向き合って生きてくために、障害のことをオフィシャルに開示(もともとずっと開示してましたが、就労前に口頭か診断書出しているかの違い)して転職をし、担当業務に制限をかけて再々就労。
そしてもう一つの新たなライフビジョンとして、オフで自分の長所を活かした当事者としての活動を開始(語る当事者)。
同じ境遇の方々とお会いしたりお互い切磋琢磨鼓舞したり、執筆したり、講演したりしています。このブログも、自分と本気で向き合うために始めました。

決して再々就労時に、現在の状況と同じくらい障害のことを理解していたわけではありません。
「障害のことを伏せて働く」という選択肢はなさそうだということは解ったので、だったら徹底的に共生する道を模索しようと思って、自分の意識を方向転換させました。


そんな経験の積み重ねで、やっと自分の中でこの障害と向き合う勇気が徐々に湧いてきました。
ここまで来るのに、発症から5年弱経過。方向転換してから2年ぐらいか。

七転び八起きだけど、総じて自分の気持ちは上向きになってきました。


以前、患者会で十年選手の方からアドバイスを頂きました。
「数年でそこまで来たなんて早いじゃないか。順調々。まだまだこれから上向くよ」と。


次回は、いきがいクリエーションvol.3 ~夢の力を生きる力に~ の予定。


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いきがいクリエーション_vol.1 [高次脳_ふと感じたこと]

※個人の主観です。数回に分けて書きますね。

今年に入って、高次脳機能障害の集まりや家族会、講演会など、色々な方々とお会いすることが増えました。
当事者間のネットワークも増え、飲み語り合うこともしばしば。

 語ると、お互い話がとまんないんだよね。

「こんな場合どうしたらいい?」と、相談を受けることもあれば、

「こんな時どうしてる?」と、お互い知恵を共有したり、

「これから新しい人生をどう創ってく?」と、夢を語り合ったり。

みんな死の境地から這い上がってきているから、その助け合いや連帯感なるものはとても強いです。そして何故か、「同じ境遇で困っている方を助けたい」と感じる方が多いです。


僕もたぶんその一人。

こんな辛い経験をさせたくないよね。
不幸にして受傷される、これからの当事者の方に。


苦労と工夫の約5年半。


僕の知る限り、この障害において就労復帰で苦戦される方が大変多いと感じます。

というか、スムーズに社会復帰できたという方にお会いしたこともないし、そういう方は会にも来ないでしょうし、いないんじゃないかと。


なぜ苦戦するか?

理由は、社会復帰するまで、周囲からも自分からもこの障害が見えないからと捉えてます。
※あくまでも軽~中等症のケースであることご了承を。


例えば、不幸にも事故で腕を失った方の場合、目が覚めて変わり果てた自分を知った時に、しばらくの間とても精神的にショックでしょう。でもいずれ、それを受け入れて前向きに歩んでいくことになろうかと思います。
そして、日常生活や仕事上で、両腕を使うようなことは避けて生活を立て直すことになると思います。

例えば、段ボールを運ぶようなことは他の方にお願いするなど。

しかし高次脳機能障害の場合、腕を使う場面に遭遇するまで喪失していることに周囲も自分も気づかず、自分で段ボールを運ぼうとしたり、周囲も運ばせようとするわけです。


そして自分がその場面に遭遇しても、記憶が落ちているため、なかなかそのことを学習できず、同じ失敗体験を繰り返します。

結果、就労上のトラブルや認識ギャップが発生。

「サボってるだけだろ」とか、
「やる気だせ」とか
「気合入れろ」とか、

「いつ治るの?」とか。
 
平気で言われたりします。
僕個人としては最後の言葉は、高次脳機能障害のことを知らなくとも、開示して働いている以上本人に言ってはいけない言葉だと思います。

当の本人は、混乱状態になり各種症状が発症。

一方で回復に伴い印象度の強いことは記憶に残りやすくなるため、大きなミスは記憶され、そして人生半ばで委縮した自分が形成されやすくなります。


脳機能の回復に伴い、「自分が崩れていく過程が自分で見える」ところに、
この障害の本当の辛さが存在すると、自身感じています。


(来週に続く)


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人間の4つの幸せ [高次脳_ふと感じたこと]

昨日今日と2日連チャンで病院でした。
もちろん定期受診ですよ。
心臓・脳ともに定期的にケアが必要なのです。

でもこのタイミングで、風邪をひいてしまいました。
のど・せき・鼻みず・・・。
今日は循環器主治医の診療だったのですが、いつものお薬に加えて風邪のお薬ももらいました。
「しっかり飲んでしっかり静養するように」と念を押されて。


受傷後、体調を崩すことが増えた感じがしてます。
身体的にも当然体力は落ちただろうし、精神的にも負荷がかかっているからね。
これはすこしずつ取り戻していくしかないか。


そんな中、今日のSTリハで良いことを教わったので共有を。


人間の究極の幸せは
 
人に愛されること、
人にほめられること、
人の役に立つこと、
人から必要とされること

の4つである。
働くことによって愛以外の3つの幸せは得られるのだ。
私はその愛までも得られると思う。
(日本理化学工業株式会社会長の大山泰弘 氏)


調べて初めて知ったんですが、この会社、全体の70%以上が知的障がいのある社員だそうです。
僕はこの会社と特に何の関係もないのですが、とても共感したので紹介を。
ぜひ検索してみてください。沢山出てきますよ。

先日の講演会でも話したのですが、自分も居場所から出番造りまでの視点を持つ雇用先が増えることを願ってます。
決して受け身で言っているのではないのですが、就労復帰において雇用先にこの視点があるかないかは、とても大きなことであると感じます。

ということで、ここ1週間くらい週末含めてあんまりパットしてないのですが、こういう時もあるよね。

無理せず、明日からまたマイペースで行きますよ。


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